寺院名 亀光山金泉寺(きこうざん こんせんじ)

住所 徳島県板野郡板野町大寺字亀下66   電話 088−672−1087
本尊 釈迦如来  開基 行基菩薩
本尊の真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌 極楽の宝の池を思えただ 黄金の泉澄みたたえたる

山号でもある亀光山は、亀山法皇(1274〜87)が勅願所として、堂塔の再興や三十三間堂などを建立したことに由来する。以来皇室との縁が深く、南北朝時代には南朝の長慶天皇(1368-83)が晩年をこの寺で過ごし、応永5(1398)年3月15日、53歳で崩御されたと記録にあり御陵が境内にある。皇室との縁が深く、一方民衆の尊信を集めて寺勢が強かった金泉寺も、天正の兵火で大師堂以外の諸堂が焼失した。その後再興されたが、規模が小さくなったまた寺の裏の庭園に、弁慶石と呼ばれている岩石がある。伝説によると、屋島攻めに向かう源義経がこの寺で一服した時、力試しとして弁慶に持ち上げさせた大石だという。海上を見張っていた平家の意表をつき、阿波に上陸して陸路から屋島を攻めた義経は、阿波にさまざまな事蹟を残し伝説を生んでいる。本尊は三尺の釈迦如来。脇士の薬師、阿弥陀の三尊とも大師の作。聖武天皇の勅願により、天平年間に行基菩薩が開基したもので、その当時は金光明寺と称されていた。のち、当寺に来錫された弘法大師は、井戸の水が涌き出る様を讃え、そこに堂字を建立し、寺号を金泉寺と名付けた。後年、亀山法皇がこの寺をご信仰になり、三十三間堂を建立、千手大悲の観世音菩薩像を安置して山号の亀光山を賜号。また勅願道場として経蔵を置き、遠近の学侶などの講演もあって大いに栄えた。その頃の規模を知るよすがとして、金泉寺東門、南門などが残っており、この地方を大寺と呼んでいることからも窺い知れる。その昔、屋島は壇の浦に向かう義経が、この寺に立ち寄って戦勝を祈願し弁慶が持ち上げた力がある



山  門

金泉寺見所の案内 黄金地蔵尊 黄金の井戸  弁慶の力石                      

観音堂の右隣の小さな嗣にあるのが、黄金の井戸と地蔵尊。寺名の由来ともなった井戸は現在でもこんこんと湧き出ていて、この井戸をのぞき込み、影がはっきり映れば長寿、ぽやけていると短命という言い伝えがある。参拝者は井戸をのぞき込み一喜一憂して帰っていくそう。また井戸の傍らに座っている地蔵さんは、北向き地蔵とばれ、首から上の病気に霊験があるという。自分の惑い場所と同じところをなでながら、願をかけるといいそうだ。
源氏と平家が真正面から戦った寿永4年(1185)の冬、平家を打ち落とそうと屋島へ向かっていた源義経一行が、戦勝祈願をすべくこの寺に立ち寄った。その時に弁慶が持ち上げた石が「弁慶の力石」。大事な一戦を控えた義経が、弁慶の人並み外れた力量を自軍の兵の前に示し士気を鼓舞したという、言い伝えの巨石で、普通の人ではとうてい手も回らない大岩。現在は境内西隣の庭園の角に置かれている。

























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