住所 愛媛県今治市別宮町3 電話 0898−22−2916
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天正午間、長曽我部の兵火に遭って堂宇は焼失。さらに城主河野家の滅亡とつづき、滅亡と同時に与領を滑収されたが、南光坊だけは別宮明神の別当寺として再建され、慶長五牛には藤管高虎公の祈祷所として薬師堂の再建を見、さらに久松藩主からも尊信を得、別当職を持続していたが明治の廃仏棄釈令で御本地仏として社殿に奉安してあった大通哲勝如来、二大脇士、十六大王子を巷師背に遷し寺として独立南光坊は別宮大山積神社と隣り合っていた頼戸内海に浮かぶ大三島に、大山祗神社があり、伊予の国主越智玉純が大山積大神を祀ったのが開基といわれている。ところが海を渡らなければ参詣できないことから何かと不便だった。そこで和鋼5(712)年に別宮を越智郡日吉村に移して、八坊を造立した。その後弘法大師が巡錫し、別宮を参拝し、坊で祈願して四国霊場と定めたという。大山積大神は武神海神として、中世には河野氏の尊信が厚く、その祈願所として栄えた。だが天正の兵火で八坊は焼失し、南光坊だけが再建されたという。 |
大 師 堂
高僧・天野快遣の墓 境内には、南光坊中興の祖・天野快道大僧正(1846〜1923)の顕彰碑が残っている。天野快適は、今治に伝わる「大楠と三匹の狸」という話の中で、境内で悪さをしていた狸と話をし、諭したという伝説が残つている人物。「頭脳明晰で体格にも恵まれた傑物」であったとか。大正7年には真言宗醍醐派管長に選ばれ、京都醍醐寺の座主をも務めた高僧であった。 |
今治城 慶長9年〈1604)に藤堂高虎によって築かれた全国も珍しい海岸平城。今辞j治浦にある砂州に20万石の下町を開いた際、「今よl治める」という意味で地も今治に改めたという。の水は、今でも海水。天、閣は展示室や展望台、郷土美術館として公開されてしる。 |
今治市河野美術館 今治市出身の河野信一艮の寄贈により創立された美術館。平安時代から現代まやの書画や古写本など12000点を収蔵。芭蕉や−茶の直筆の軸物、狩野永徳や土佐光起らの屏風、利休や子規、漱石らの遺墨など、貴重な品が数多く展示されている。 |
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