四国88ケ寺霊場 第70番札所 本山寺 もとやまじ

住所  香川県三豊郡豊中町本山甲145  電話  0875−62−2007

財田川北岸にあって、単調な田園風景の中に、遠くからでも境内にある五重塔がくっきりと見える。本堂は一重の本瓦葦きの重厚な建物で、国宝に指定されている。正安2(1300)年の墨善が礎石ならび棟札に記されていたそうだ。本堂は鎌倉時代に大修理されているから、その時の墨書だろう。昭和27〜30年には解体修理され、建立当時の形に復元されている。正面の仁王門はどっしりした八脚門で、唐風の絵模様の彫刻がある。この仁王門は久安3(1147)年建立で、国の重要文化財になっている。


十三仏の掛け軸阿しゅく如来の御朱印は当お寺でもらいます



本尊  

馬頭観世音菩薩

開基  

弘法大師

本尊の真言 

おん あみりと どはんば 
うん はつた そわか         


本   堂    国宝
本堂は、弘法大師が平城天皇の勅願により大同2(807)年に建てたもの。
この時、本尊の馬頭観音と脇仏の師如来と阿弥陀如来を一刀三礼にて刻み、
安置したと伝えられている。

現在の境内は2万uだが、往時は一村を占める広大な寺域を持ち、寺運は隆盛あるのみだった。二十余坊に余る塔頭が建ち並び、壮観だったという。だがこの名刹にも天正の兵火はおよぶ。長宗我部元親が讃岐に攻め入って寺を焼きうちにしたとき、本山寺にも軍勢が押し寄せたが当時の住職は「境内には一歩も入るな」と兵士の前に立ちはだかった。
本山寺鎮守堂桧皮葺きの美しい傾斜を見せる室町時代末期の様式を残す小社。天文16年1547建立の墨書が残る。安置されていた善女竜王像(ぜんにょりゆうおうぞう)は南北朝時代から室町時代初期のもので、請雨秘法の霊神。弘法大師が雨請いの修法を行った折に、その勧進によって姿を現したという。堂と共に県の文化財に指定されている。


城天皇(在位806〜809)の勅願によって弘法大師が建立した。ただ、讃岐の山では用材が見つからず、阿波の井ノ内谷まで行って用材を伐ってきたという。本尊の馬頭観音、脇侍の薬師如来、阿弥陀如来も、そのときに刻んだ。馬頭観音を本尊としているのは、八十八カ所ではここだけである。二十余りの妨をもつほどに隆盛を極めたが、戦国時代、長宗我部氏が讃岐を平定しようと乗り込み、この寺を本陣にしようとしたが、住職は内に押し入ろうとする兵を押し留め、斬られてしまった。さらに進んだ兵が建物の内に入ると、脇侍の阿弥陀如釆の右の肘から血がしたたり落ちたたと伝える。そんな訳で戦国の兵火や火災などはまぬがれている。ために久安三年建立の仁王門、大同四年建立の五重の塔などは往占の姿そのままで残されている。本堂は正安二年(1300)の建築で七間四面の堂字は県内寺院では唯一の国宝建造物の指定を受けている。






現在解体修理中です

五重の塔内に安置されていたのですが現在大師堂内仮安置 五智如来のうち
1体は現在行方不明だそうです 早く返して!


護 摩 堂












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