四国八十八ケ所霊場 第75番札所 善通寺 ぜんつうじ

住所 香川県善通寺市善通寺町3−3−1 宿坊有り 250人
電話 0877−62−0111


本  堂



善通寺市は善通寺の門前町として栄えた町で、寺は町中にあり、香色山の東麓に近い。ここは弘法大師生誕の地で、高野山、東寺とともに、大師の三大霊場の一つである。善通寺の山号は五岳山という。寺の背後に、香色山、筆山、その後ろに我拝師山、中山、火上山と五峰が連なっている



本堂内撮影禁止の為パンフレットより 薬師如来像

本尊 薬師如来  開基 弘法大師

本尊の真言 おん ころころ せんだり まとうぎそわか
         


東院には東の赤門、西の中門、南大門と三つの門がある。西院の仁王門を入ると、正面に御影堂があり、大師誕生にまつわる遺跡がたくさんある。弘法大師が唐へ渡る前、自分の顔を池に映して自画像を描き、母の宝韻あ哉に贈ったという伝説がある御影の池や、大師誕生の時に用いたという産湯の井戸がある。


大 師 堂 入 口

境内に入ると、敷地の広さに驚く。たくさんの堂塔が建ち並んでいる。うっかりすると、自分がどこから入ってきたのかもわからなくなりそうだ。遍路や観光客も多いため、ほかの札所とはかなり雰囲気が異なる。なるほどここは大師生誕の地、霊跡なのだと、改めて実感する。45万uという広大な敷地は、父善通の広い荘田だったという。境内は道路を挟んで、東院(伽藍)と西院(誕生院)の二つに分かれている。東院には金堂、五重塔、釈迦堂、五社明神、足利尊氏利生塔、三帝御廟などがある。樹齢千年を越えるという大楠もある。こぶこぶした太い幹はしめ縄で飾られている。大師が誕生した時には、すでに大樹だったというから驚きだ。弘法大師ご誕生の霊蹟である。寺は屏風ケ浦五岳山誕生院・総本山善通寺と号し真言宗善通寺派の総本山である。弘法大師は大同元(806)年に磨から帰国したが、この時佐伯一門の氏寺として、′伽藍の造立を発願した。父の荘田供養で境内地を得たので、大師はこの地に唐から持ち帰った八十八ケ所霊場の土砂をまき、唐の青寵寺(空海はこの寺で恵果阿閣梨から、密教のすべてを伝授された)を摸して伽藍の創立にかかった。6年後の弘仁4(813)年には七堂伽藍が完成して、弘法大師は薬師如来を本専として刻み、安置した。永禄年間(1558〜70)に本堂は兵火で焼失したが、本尊は焼け残った。現在の金堂は貞享2(1685)年に再建された
戒壇めぐり
仏様に見守られながら、閣の中を心静かに進みゆく精神修養の場・それが戒壇めぐりです。中に入って、まず左手を伸ばし、左側の壁をつたって「南無大師遍照金剛」と一心に唱えながら、ゆっくりと進みましょう。中央広間には、弘法大師とその御両親、また″四国八十八ケ所霊場″のご本尊様をおまつりしています。また、閣の中、実際に見ることはできませんが、両側の壁には密教におけるひとの宇宙感である曼茶羅″にある三十七の仏棟が画かれ、足元には″四国八十八ケ所″のお砂が敷き詰められています

御影の池
御影堂の正面にある小さな池。弘法大師が唐に留学するため京より帰宅した時、母の玉依御前が非常に名残り惜しんだので、この池の面に姿を写して自画像を描いて母君に贈ったという。また、この池を覆っていた松はすでに枯れてしまったが、池の前に枯木として保存し、「御影の松」と呼ばれている。

八十八ケ所中ここにしかない守り本尊のビャクダンのお守りが売られている 8000円


















数十年ぶりの大雪


















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