眉 山 公 園

徳島市内に標高270m位の山(びざんと読む)
阿波踊り会館屋上山麓駅からロ−プウエ−もしくはタクシ−によりドライブエ−経由で行くことできる
現在はパゴダ館 モラエス館は閉館中ですので吉野川平野淡路島和歌山まで展望のみ
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パコダ館 閉館中

*眉山の緑とモラエス
  モラエス=1854年〜1929年(安政1〜昭和4)=は、ポルトガルのリスボン市で牛まれた。
  海にあこがれていた徴は海軍兵学校を終え、士官に任官、中国のマカオ港務局副司令 となり
  国強兵の日本に強い関心を持 つようになった。神戸に来て副領事、総領事を歴任する。1913年
  (大正2)亡妻福本ヨネの郷里・徳島に来住した。ヨネの姉ユキの娘・斎藤小春を妻とし、文筆
  生活に入り、政情不安ということがあったせいかも知れぬが、終生母国のポルトガルには帰ら
  なかった。ポルトガルには新聞等に「日本通信」として日本のさまざ生活の資を得、のちまとめて
  著書とした。眉山の縁がおおいかぶさるような徳島市伊賀町の長屋に住み「おヨネと小春」本精
  神」「徳島の盆踊り」など多数の著書は邦 訳・出版されて、全集も出版された。1916年(大正5)
  愛妻・小春も病死し、被は老体に加え、リュウマチを病み、小春の母・斎藤ユキの看護を受けて
  いたが、孤独のうちに1929年(昭和4)寓居で没した

小泉八雲と並ぶモラエス
  33年間日本に住んだが、そのうち17年間を徳島で過ごし、徳島の小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)
  と称された。モラエスと小春の夫婦墓は徳島市寺町の潮音寺の庭にある。このモラエス
  (ウェンセスラウ・デ・モラエス)を記念するため、 1976年(昭和51)7月1日、徳島市眉山山頂に
  モラエス館が開設された。徳島をこよなく愛したこの文人にふさわしく、3階展示室には生前の
  伊賀町の長屋の純日本趣味の居間兼書斎を再現し、愛した書画・机・脇息を置き、
  これを中心に「日本精神」「徳島の盆踊り」「おヨネと小春」などに代表されるポルトガル語の全作
  ならびに邦訳書・研究苦等を配列し、彼の作品の背景となる明治・大正の徳島の風俗も紹介している。

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