四国88カ所霊場 第33番札所 雪蹊寺 せっけいじ

住所  高知県高知市長浜857−3  宿坊なし  駐車場40台

電話  0888−837−2233



本尊
 薬師如来

開基
 弘法大師

本尊の真言
おん ころころ
せんだりまとうぎ
そわか                           
本   堂
広々とした境内正面に本堂がある。この本堂には1つの額が奉納されている。
中には眼鏡が入っているが、太玄と玄峰のエピソードから眼病祈願を行い、
平癒した人が奉納したと思われる。








本尊の薬師如来像
運慶晩年の作といわれる薬師如来は、鎌倉時代の作風を今に伝える名品で国の重要文化財に指定されている。境内に入ると右手にある梵鐘には「朝破無明夢 夕闇清浄智」 の銘が。この詩は三島龍沢寺の老師で、山本玄峰の弟子である中川宗淵より贈られたものである。


大 師 堂
弘法大師が開基したと伝えられる。当時、雪蹊寺は少林山高福寺といった。鎌倉時代に仏師運慶と長男湛慶が来山し慶運寺と改めた(現在、運慶、湛慶、及び一門の作による主要文化財が16体ある)。その後は廃寺となていたのを、天正の未に月峰和上が住職になり、長宗我部元親の援助を得て、臨済宗として再興したという。月峰和上が住職になったいきさつについては、歌詠み幽霊の伝説がある。四国霊場三十三番札所に幽霊が出るという噂立っていた。廷暦年間、弘法大師が開基したときは、少林山、高福寺と号して真言宗であった。その頃のものとして、大師自作の御座大師傾が現存している。しかしそれ以後は寺を管理する者がなかった為、荒廃の長い年月を過ごしていたのを月峰和尚が中興した。慶長四年、元親死よ後、寺はその菩提寺となったのを機に、元親の号をとって雪践寺と改めた。この寺も明治初年の廃仏棄釈令で廃寺となったが、その後の同十二年に再興された。宅物としては、運慶作の本尊、薬師如来、日光月光の両菩薩があり、ほかに湛慶作の毘沙門天、脇士の吉祥天女があり、さらに海覚作の十二神将十体とも、いずれも同音である。








納 経 所












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