四国八十八ケ寺霊場 第38番札所 
金剛福寺
 こんごうふくじ

住所  高知県土佐清水市足摺岬  電話 08808−8−0038

足摺岬は四国の最南端にあり、太平洋と向かい合っている。足摺岬は、黒潮の影響を受けるところで熱帯の植物が繁茂する景勝地である。その突端には白亜の灯台が立っている。これは大正3年にできたもの以来、海の安全を見守り続けている。灯台のあたりは断崖絶壁で、潮風が強く、岩にくだける白い波頭や雄大な太平洋の風景は圧巻である。金剛福寺は、背後の高台に建っている。足摺スカイラインを行くと、岬に着くと右手に灯台、左手に金剛福寺があり、足摺宇和海国立公園になっている。寺のまわりは老樹がうっそうとしていて、ビラン、アコウ、椿など亜熱帯植物も繁茂している椿の咲く頃はたいへん美い灯台や展望台へ行く途中の自然遊歩道は、椿のトンネルや足摺七不思議といわれている伝説や事跡があって楽しめる。それは一夜建立石鳥居」「亀石」「潮の満干岩」「竜の駒」などである。弘法大師が爪で「南無阿弥陀仏」の文字を彫ったと


山 門






本尊 
三面千手観世音菩薩

開基  
弘法大師

本尊の真言  
おん ばざら
たらま きりく              


 本   堂

                  


愛染明王座像
高野大師行状図画この寺の寺宝である愛染明王座像は、平安後期の作といわれており、県指定の文化財。また、弘法大師の一生を絵巻にした高野大師行状図画・全10巻のうちの5巻もこの寺に。高野山の僧・柘宝が応永22年1415)に描かせたものといわれている。
多量塔
本堂に向かって右手にある不動堂のそばには、多宝塔がある。これは源氏一門の多田満仲が建立したという。多宝塔の後方には、和泉式部が自らの黒髪を埋めて供養した逆修塔がある。逆修塔は、生前に建てる供養塔のことだ。
嵯峨天皇より「補陀落東門」の勅願を賜わった弘法大師は、弘仁十三.年(八二三) 足摺岬に来錫し、三面千手観世音菩薩を刻み、それを本尊として寺を開創され日輪山・金剛福寺と号し四国第三十八番札所に定められた。その月輪山の山号を現在のものに改めたのは金峰上人が住職をしていたときのことである。その頃、岬周辺で暴れ狂っていた天魔を上人が法力をもって蹉柁して退かせたことにちなんで現在の蹉蛇山と改号した。当山は嵯峨天皇以来、代々の天皇の勅願所となり、室町時代には京都の尊海法親王が下向されて住職をしていたこともある。また、武将たち、とりわけ源家一門との縁が深く、多堂塔をはじめ諸堂の建立を受けている。ちなみに、境内の広さは三万六千坪、それは岬一円を覆っていて、突端周辺と寺内には次のような大師七不思議の遺跡がある。ゆるぎ石、亀石、刀の石、亀呼び場、竜橙の松、竜の駒、名号の岩などである。



























さあ!台風銀座足摺岬へGO

まずは長浜万次郎像が出迎えてくれる



展望台にあるお天気カメラ台風時の足摺岬の様子はこのカメラが活躍

足摺岬から室戸岬方向


時々下写真のように亀が見えます





近くの観光

ジョン万ハウス
日本初の国際人と言われるジョン万次郎(中浜万次郎)の故郷は土佐清水。彼は14才の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に助けられた。そのまま、世界中を航海し、様々な知識を身につけて帰国。江戸幕府の元で日米交流に力を尽くした。ここでは、彼の遺品や貴重な写真、資料などが展示されている。
白山洞門
太平洋の荒波が長い年月をかけて造りあげたもの高さ16m、幅17mの大きさを誇り、高知県の天然記念物に指定されている。また、二百数十段の階段を降りれば、波打ち際まで行くことができる。

白山洞門


民宿&渡船はっと丸に乗って海から足摺岬見る 4000円で乗船可能 予約必要







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四国八十八ケ所霊場会公認 大先達
770-8071 
徳島市八万町中津山4−129 
徳島個人 中村タクシ−
中 村 功
電話 088−653−0280
FAX 088−653−0480
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