四国八十八ケ所霊場 
第四十九番札所  浄土寺
 じょうどじ

住所  愛媛県松山市鷹子町1198
電話 089−975−1730


本尊

釈迦如来

開基

恵明上人

本尊の真言 
 
のうまく さんまんだぼたなん ばく         


山 門
本堂
高台にある本堂の背後は竹林になっている。だからその対比が清列な風景である。本堂正面には奉納の水色の幕が張られている。本堂は文明16(1484)年の建築で重要文化財に指定されている。本瓦葺きの屋根を持つ唐様式の簡素な建物だが、壮重なたたずまいである。

大師堂
本堂と大師堂の間に大師像がある。ほかには阿弥陀掌、愛染堂などの堂宇があって、境内の偶に空也松がある。以前は本堂前に巨木の空也松があったらしいが、この松は枯死した。現在の空也松も葉が枯れている松がある。松の下には石の地蔵が2基ほど立っていて、その前にはみかんや菊花などが供えられている。大師堂には千羽鶴や絵馬が、たくさん奉納されている。
 

浄土寺は、天平年間(七二九〜四九)に孝謙天皇(在位七四九〜七〇)の勅願によって恵明上人が創建した。このとき、行基が刻んだ釈迦如来を祀ったと伝えられ、これが本尊となっている。後に弘法大師が訪れ霊場として定めてから、末寺七力寺を有する大寺になった。往昔、孝謙天皇の祈願所であった頃の寺域は八丁四方に及び、六十六坊の末寺をもっていたが、応永四年の兵火で焼失。以来寺運は衰退、荒廃するにまかせていたのを文明十三年になって領主、河野家によって唐様式の本堂は無駄かなく美ししたたずまい浄土寺は、伊予鉄道久米駅にほど近い山裾にある、閑静な札所。市聖と呼ばれる空也上人(903〜72)が、この寺で3年間滞在したと伝えられている。近くには空也上人の修行の場「空也谷」があるどっしりした仁王門の仁王像は、阿像の仁王様の目が空洞になっている。この仁王門は大正11年に建立された。ここにも、仁王門をくぐると石段があり、その向こうの正面に本堂が見える。ここから見る本堂のたたずまいはとても印象的である高台にある本堂の背後は竹林になっている。本堂正面には奉納の水色の幕が張られている。本瓦葺きの屋根を持つ唐様式の簡素な建物だが、壮重なたたずまいである。向かって右の少し奥に大師堂が建っていて、本堂と大師堂の間に大師像があるほかには阿弥陀堂、愛染堂などの堂宇があって、境内の隅に空也松がある。以前は本堂前に巨木の空也松があったらしいが、この松は枯死した。現在の空也松も葉が枯れている松がある。松の下には石の地蔵が2基ほど立っていて、その前にはみかんや菊花などが供えられている。大師堂には千羽鶴や絵馬がたくさん奉納されている。





本 堂

大 師 堂




要文化財の空也上人像
昭和11年9月18日松山市指定重要文化財空也上人像は、上人がこの地を去る時に村人が「お姿だけでも…」と懇願したため、自らが彫ったもの。像高123.4mで、胸に金鼓をかけ、右手には接木、左手には鹿杖を握っている。この上人像の口からは針金が出ていて、そこには6体の小さな仏像が。これは、上人が唱えた「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏が仏の姿になったことを意味しているとか。空也上人像が安置されているのは国内に2体だけ。このほかには京都の西国六波線密寺にある。



七 福 神

春の境内












納 経 所

近くの観光
杖ノ淵公園弘法大師にちなんだ名水公園杖ノ淵は、弘法大師が杖をついたら湧き出たという
伝説を持つ湧水。国内には湧水池を中心に、子供広場、芝生広場、親水広場、
水遊び広場があり、清らかな水と親しみながらのんびり過こせる。


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