本尊
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円明寺は、和気町の南にある。大きくはないが古色をたたえた落ち着いた本堂には、四国最古の銅板の納経札がある。慶安3(1650)年の銘がある札には、京都の樋口家次が四国遍路をして納めたと記されている。アメリカから来日し、四国霊場巡拝をしていたスタール博士は、銅板札に深い関心を持ち、素晴らしい価値があると紀行文に書いた。世は移り人は変わっても、聖空間を遍路する人の心は変わらない。そんな霊場めぐりの魅力に、博士は感動したのだろう。円明寺は天平勝宝元(749)年聖武天阜の勅願淳である。勅を奉じて来錫した行基菩薩が三尺の立像、阿弥陀如来を刻み、それを本尊とし安置する伽藍を和気の海岸に創建し、海岸山・円明密寺と名付けたのがはじまりである。しかし、それ以後、亡び重なる兵火のため広大であった堂宇は焼失、方城は荒れるにまかせた状態が長年月に及んだ。再建したのは元和年間になってであり、和気の家族須賀重久が現在地に本尊を移転、伽藍を再興した。 戦乱の時に、兵士が軍資金にしようとして運ぼうとすると、鐘が自ら海中に身を投げたのだという。京の覚深法親王の令旨により仁和寺の末寺となり、そのとき須賀山の山号を賜わり、そして現存の正智院・円明寺となった。なお本澄内にある四メートル余の龍の彫物は左甚五郎の作と伝えられている。奥の院は西方二キロ余にあり印度仏釈迦如来、同覿世音菩薩を祀っている。 |
新しく納経所完成しました
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