住所 愛媛県今治市阿方636 宿坊なし 駐車場50台 大型可
宿 少し離れているが鈍川温泉 かどや別荘(お湯最高にいい)
電話 0898−22−5696
山門は元は今治城の城門だったらしい。本堂から大師堂へは石段を上っていく。
鐘楼は二カ所あり一つは口径六十二cm、高さ112cmである。そして、
鐘の周囲には寺の歴史が細かく刻まれている。
山 門
本尊
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天平年間(729〜748)、行基が不動明王を刻み、今治市の西北にある近見山の頂に七堂伽藍を建立したのがこの寺の始まりとか。後に弘法大師が来錫。堂宇を再建し近見山円明寺と名付け、信仰と学問の中心道場とした。寺は幾度となく兵火に遭い、場所を移動。享保は年1727)に現在の場所に移る。寺宝に写水元年鋳造の鐘がある。この梵鐘は、長田我部の兵士達が軍用金にしょうと椋奪し海上へ運んだとき、梵鐘自ら海中へ沈み椋奪を拒んだ、いう伝えがある。 梵鐘 今治市指定の文化財。宝永元年つ1704)、当時の住職が私財を投じて鋳造したもの。周囲には延命寺(円明寺)の由来が刻み込まれている。この近見二郎は現在は引退しており、近見三郎が代わって使われているが、年1回の除夜の鐘では二郎の音色が聞ける。 |
境内の鐘楼の梵鐘は、宝永元(1704)年に住職が私財を投じて鋳造したといlわれている。戦乱の時に、兵士が軍資金にしようとして運ぽうとすると、鐘が自ら海中に身を投げたのだという。茶堂のすぐ近くに、越智孫兵衛の墓がある。彼は元禄時あがた代の阿方の庄屋で、代官に直訴して年貢米を軽くすることを交渉し成功した。そのため享保17(1732)年の大飢饉では、西国では餓死者1万2000人をだしたが、この地では1人の餓死者もださなかったという。以来毎年8月7日には、孫兵衛の慰霊祭が地元の人々によって営まれている。 |
糸山公園 しまなみ街道の西瀬戸自動車道今治北インター近くに来島海峡大橋を間近に見ることができる公園。園内には、橋の仕組みや完成までのプロセスをイラストやビデオで紹介した来島海峡展望館もある。 |
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