四国霊場八十八カ所
第59番札所  国分寺
 こくぶんじ

住所  愛媛県i今治市国分4−1−33  
鈍川温泉あり カドヤ別荘(ぬるぬるお湯伊予のお殿様も愛湯したそうです)



山 門

本尊  

薬師如来

開基 

行基菩薩

本尊の真言  

おん ころころ 
せんだりまとうぎ 
そわか         

石門を入って正面が本堂。境内には大師堂、毘沙門天、
書院などが並んでいる。書院には奈良時代から平安時代初期に
かけての寺宝や文化財、旧国分寺からの出土品を保存している。
中でも県指定の文化財で、寺宝の国分寺文書3巻は南北朝時代のものとされている。


国分寺
唐子山の山麓にある古刹である。石門を入ると正面に立派な本堂が見える。広々としている境内には大師堂、毘沙門天、庫裡、書院などの諸堂が、整然と建っている。書院には寺宝や文化財の展示室があって、一般に公開されている。国分寺は聖武天皇が天平13(741)年に国分寺建立の詔勅を出し、各国に建立された寺の一つ。行基が開基したと伝えられ、当時は七堂伽藍を備えた豪壮な巨刹だったらしい。本専は行基が刻んだという薬師如来である。当時の国分寺は、今の場所から東へ100mほどのところにあった。この旧国分寺跡の東塔跡とみられる場所には、花崗岩の13個の礎石があって、国指定の史跡となっている。この付近からは創建当時の巴瓦5種と、唐草瓦なども出土していて、書院の展示室に展示されている。礎石から推測された塔は七重で、高さは60m近いという。平安の初期に弘法大師が巡錫し、しばらく滞在して、五大尊の絵像一幅を残している。また、大師の弟子の真如もここを訪れている。史跡に残されているように、寺勢は隆盛だったが、その後の国分寺は災難続きだった。



大 師 堂

大平十三年(七四一)聖武天皇の勅願により行基菩薩が、各国に創建したときの伊予の国分与である。それから年代を経、智法大師が三代目の住職をしているときに当方を訪れた弘法大師は、暫く留錫して五人尊の絵像を書き残し、大師の弟子の真如大師も留錫して法華経一部を染筆するなどの磨史を持っている。しかし、それ以後は受難が繰り返されている。それは天慶二年の藤原純友の乱にはじまり、さらには治承四年、源蝦朝の挙兵に呼応した同主河野氏と平家との戦禍に巻き込まれて斯焼、南北朝時代の汽治二一年には細川槻之が攻め入るなど、その都度、せ宇を焼かれたが、当何の川司の助力を得て内建された。その後も大正十二年長田我部の兵火で折角伯建した慢塔もことごとく焼失し、以後は小庵だけの斤だったが、四十三代目の住職恵光上人が電政元年(一七八九) に金管を再建、以後は遂次背塔を増築している。


国分寺握手修行大師像 山門を上がってすぐ右手
握手して祈願する大師像大師様はたくさんの方の願いを聞かなければいけないので
1回だけにしてください










近くの観光
伊予桜井漆器会館 愛媛県今治市長沢甲340  0898−48−0418 火曜日定休日約200年の伝統を誇る漆器を展示、販売。箸置きや塗り箸など手軽な日用品から、沈金や蒔絵を使った芸術品まで品揃え豊富だ。ワイングラスやコーヒーカップなどの洋食器もある。ガラス越しに作業工程を見られるコーナーも設けられているので、下地から塗り、沈金までの伝統の技をじつくり見学出来ます。


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