四国八十八カ所霊場 第87番札所 長尾寺  ながおじ

住所  香川県大川郡長尾町西  電話 0879−52−2041

志度寺をあとに約七`の道を88番札所方向へたどると長尾の古い町
並になる。寺は町中にあり、弘安六年と九年の銘のある石の経幡を拝みながら仁王門を入ると、
広い境内に本堂、右に大師堂、左に護摩堂と常行堂が建ち並ぶ。





本尊 
正観世音菩薩

開基 

行基菩薩

本尊の真言 
おん あろりきや 
そわか

         


        本   堂



本堂
松平頼垂により建てられたもので、葵の紋入りの丸瓦が残っている。本尊の聖観音像は、たびたびの火災にも不思議に無事で、秘仏としてまつられている。松平頼垂はこの本尊を、讃岐国の主な観音像7体の中でも随一だとして、「当国七観音随一」と指定した。

経憧きようど
経憧とは、写経を埋めた上に立てるもので、仁王門前に左右一対で立っている。東側のものには「弘安九年五月」、西側のものには「弘安六年七月」の銘があり、元寇の役の犠牲者のために立てられたものと見られている。重要文化財。

静御前剃髪塚
静御前が当寺で得度した際、剃髪した髪を埋めたという塚。静は母の磯野禅尼と共に得度した後、近くの井戸中代という所に庵を結び、義経形見の薬師如来を安置した。





天平十一年 (七三九) この地に来錫した行基菩薩は霊夢を感じ、道端の楊柳で聖観世音菩薩像を刻み、小堂を建てて祀って安置したことがはじまりだという。その後、唐の国へ渡られる前、当寺を訪れた弘法大師は求法を祈願、帰朝後は堂宇を建て、大日経を一石に一字ずつ書き写して万霊の供養塔を建立し、年頭七夜の護摩秘法を厳修され、その祈り札を衆生に与えたといわれている。天長二年(八二五) に伽藍が整備され、永仁六年(一二九八) には伏見天皇(在位一二八七〜九八)の勅により開廃法要がなされた。兵火により堂宇は焼失したが、慶長年間(一五九六〜一六一五)、領主生駒一正の援助で再建、天和元年 (一六八一) 松平頼垂公は堂塔を建立、田畑を寄進し讃岐七観音の一に定めると共に天台宗に改宗させている。この寺の仁王門に立つ仁王像は、大阪で造られ船で志度浦へ着。志度から長尾まで陸路を運ぶ者がなかった。そこで当時、長尾寺の住職だった名僧桂同法印が、仁王さんに向かって心の中で念じた。







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