四国八十八ケ寺霊場 第43番札所 明石寺 めいせきじ

住所  愛媛県東宇和郡明石201 電話 0894−62−0032
宗派 天 台 宗(寺門派)

明石寺
駐車場から、仁王門へと向かう。両側から木々が迫った仁王門は、古びて大きい。仁王門を入ると右手に「弘法井戸」があって、弘法大師の行場跡だと伝えられている。石段を上ると、宮殿風の屋根の本堂が、山の樹木に埋まるように建っている。現在は「めいせきじ」と呼ばれているが、本来の名は「あげいしじ」で、土地の古老たちは「あげいしさん」「あげしさん」と呼んでいる札所である。その由来は、昔若く美しい女神が、願をかけ深夜に大石を運んでいるうちに夜明けがきたことに驚き、消え去った。その様子をうたった御詠歌の「軽くあげ石」からきていると伝えられている。往古、若き乙女に化身した千手観世音菩薩が大石をいだいて籠ったという霊場であり、欽明天皇の勅願により、円手院正澄という行者が開創したと伝えられている。のち、天平六年 (七三四) 役行者小角から数えて五代目に当たる寿元行者が、紀州より熊野十二社権現を観請し十二坊を建てて修験道の心道場となった。さらに弘仁十三年 (八二二) この寺に留錫した弘法大師が、金紙金泥の法華経を納められ、一夜にして堂字を建立、加えて諸堂の再興に貢献され四十三番札所と定められた。その後の建久五年(一一九四)源頼朝が、かって助命してくれた池の禅尼の菩提をとむらうために一字を建てたことから、それまでの現光山の山号を現在のものに改めた。その刺朝の経塚は権現堂の後ろにある。この寺は四国霊場の本関所としておそれ敬われ、且つ通称をあげいしさんと呼ばれ親しまれている。 



紅葉時の山道



山 門

本尊  
千手観世音菩薩

開基  
正澄上人

本尊の真言 
おん ばざら
たらま きりく         


本堂 
現在の本堂は、明治時代に全国の信者の浄財によって建立されたもの。左右が反り、中央が膨らんだ唐破風造りの屋根は、宮殿を思わせる造り。鬱蒼とした緑を背に、風格を漂わせている。屋根は珍しい赤瓦だ。本尊は千手観音だが、これは唐渡来の仏像といわれている。

大師堂
大師堂は、本堂に比べるとやや小ぢんまりとした印象。参拝した人が氏名を書いた納札が、何枚も貼られている。

しあわせ観音像
本堂裏手の山上には、西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」が鎮座。左手に水瓶を持った観音像は、実に慈悲深いお顔をしている。また、周辺には西国三十三カ所の石像を配置しており、巡拝することができる。

本董外件の天井絵
本堂外陣の天井絵。これは明石寺の信徒が松に鶴、竹に雀、亀などのお目出たい絵柄の絵馬を描いて奉納したもの。1枚1枚に氏名と年齢が記入されており、それぞれが実に個性的で楽しい。華やかな色合いが、落ち着いた雰囲気の寺に彩りを添える。


本 堂








































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